Nr. 151『楽しいお料理』
「私が考察したところ、過剰な撹拌が原因となって生じた事態であるという可能性を完全に否定できるものではないとの結果が導き出されましたが」 私は聞こえないふりをしてカイエンヌ・ペッパーを振り入れた。 彼はにっこりしてなおも同じ台詞を繰り返す。例によって彼には私が無視したのだということが想像できないのである。──そこで私はここぞとばかりに優しく汚れない最上の笑みを引っぱり出すと、彼の目をしっかり見返しながらあえてぐいぐいと鍋の中をかき混ぜてみせた。 Nr. 152『砂糖入れの中の迷路』 「間違いない!これは名匠として名高いK.ワージトロンの初期代表作です。まったくすばらしい。我々は今まさに稀なる貴重な体験をしているのです。この角を拡大鏡で御覧下さい、細部まで作家の神経の行き届いているのがお分かり頂けるでしょう。それから、こうした表面の凹凸パターンは初期の特徴の一つですが……」 ──角砂糖細工の世界に明るくない私は、よりいっそうの孤独感がつのるばかりであった。 Nr. 153『この部屋はつまり明るすぎる』 カッルーガ氏の主張(抜粋):研究室のフラスコの中から取り出した豆だからといって、それがまがい物でないとは言い切れないわけです。まして目盛りの消えかかった古いフラスコとなれば、ますますもって信用なりません。 Nr. 154『シノニムを探しに』 「見ればすぐにわかる」 ‥‥実にそのとおりだった。親切なオーレル!資料館の建物は私にもすぐにわかった。むしろわざわざ見なくてもわかるというくらいである。駅の改札を出ると周りはおだやかな浅い海面で、正面の白い巨大な半球(目に入る唯一の建造物であるところの)まで白い半透明の敷石が等間隔に置かれていた。 Nr. 155『溶暗』 彼女の大好物であるアーモンド・ムースを作るつもりだったのだということを懸命に説明したが、それで納得を得られなかったのは明らかだった。彼女は、これ以上振り回されるのには耐えられない、あなたのこうした見え透いた嘘にはうんざりだと言い放ち、出て行ってしまった。 まあ、無理もあるまい。‥‥私は台所の床に口を開けている真っ暗な大穴を覗き込んだ。試しにアーモンドを一粒放り込む。 成功だ。穴はきっかり12秒後に極上のアーモンド・ムースを吐き出した。小さな金色のスプーンも添えて。 Nr. 156『溶明』 ベルがぴろぴろと鳴った。注文受けの扉を開くと、一粒のアーモンドだった。それを取り出して早速コンピュータで読み取りを開始する。解析は一瞬で完了した。 「あーもんどむーすのきゃらめりぜふう2にんまえ:さいこうきゅう」 なにしろ久々の注文である。特別サービスとして毒つきスプーン(“さいこうきゅう”にふさわしく致死量相当の豪華版)を添えることにした。 Nr. 157『水溜まりもおそれず』 ともかくこんなところで溶けてしまうわけにはいかない。私は上体を丸めた姿勢を保ちつつ影から影へ飛び移りながら進んで行くことにした。この際、おろしたての靴下(青の地にタンポポ色の水玉模様)のことはあきらめるよりほかないようだ。 Nr. 158『カカオ幻想』 さらに掘り進むと、きわめてやわらかい層が突然現れた。泡のようにふわふわと軽く、シャベルに手応えがない。これ以上は危険であると思いながらもついついやめられず、ついには足場にしていた上の層までも壊してしまい、私の身体はみるみる沈み込んでいった。 Nr. 159『白と黒のあいつ』 ‥‥見失ってしまったようだ。牛の行列の中に潜り込んでしまったのだとすれば厄介なことになる。 (どうあってもその前に捕えなくてはならない) 私はあまり目立たぬように道の脇に寄り、磁石を左のポケットから取り出してその針の回転ぐあいを見守った。 Nr.160『メタファー(二枚貝による)』 「うわあたった一人だけというのもまたすごいね。なかなかそうはできないものだよ!」 「‥‥そうかな?」 「そうだよ!まあまあとにかくむしろ元気を出せ」 彼がこんなにも嬉しそうなのはどうしてだろうか。 Nr.161『積乱雲』 見上げると、先ほどまではできそこないのカッテージチーズのような姿にすぎなかった雲が、ものすごい速さで膨れ上がっていく。雲の背後には暗い影が差しており、照らし出された雲の表面の凹凸がよりいっそう引き立っているのだった。 ──私は自分が無意識のうちに隠れる場所を探しているのに気づく。 Nr.162『巻雲』 「あれは竜だよ」 「ミジンコではなく?」 「うん…いや…ええと何だっけ。‥‥ご質問は正確に!」 伯父が何に対して腹を立てたのか、当時幼かった私には分かりようもなかったのだが。 Nr.163『真珠雲』 出口で一人一人に何かを配布していたので私も一つ受け取った。それは何の模様も飾りもない白いボール箱で、表にただ一行だけこう印字されている。 「ひじょうにめずらしい」 大きさの割にはやや重い。試しに箱を軽く振ってみると、それに応えるようにことことという控えめな音がした。 Nr.164『絹層雲』 ふいにどこかの犬が怯えたような声を上げた。するとそれが合図であったかのように靴の大群が空に現れた。街中の靴がそこに集まっていたのである。それらは一つの意志となって夕日を追いかけまっすぐに飛んでいく‥‥。 私たちはその光景を、群れが遠く消えるまで黙って見守っていた。石畳の上に、裸足で立って。 Nr.165『積雲』 あなたは「懐かしさのかけらも感じられない」などといって拒絶してはいけない。──それが伯父のたった一つの遺言でした。サバランの断面を見ると、いつもそれを思い出すのです。 Nr.166『図画工作の時間』 「黙って立ち去るのもそれはそれでなかなかかわいらしいものですが、ここではもう少し工夫してみましょう。みなさんそれぞれ材料を用意してきましたね?」 ふうん、と思った。工夫などといっても、僕が家から持ってきた材料といえば、新鮮なニトログリセリンだけしかないのだ。僕は周りの子のテーブルの上をさりげなく窺った。 Nr.167『巻き爪』 記録4:勤め先の同僚Wの証言 より ──「食い込んでいる」、彼はただそう言いました。その日の朝8時47分22秒のことです。そのときちょうど時計を見たのを覚えていますから、時間は確かなはずです。…… Nr.168『毛艶』 彼は1匹を掌にのせてその背中の毛をいとおしそうに撫でていましたが、私は彼が実際には吐き気をもよおすほどハムスターが嫌いであるということを知っていました。 Nr.169『木目の人』 私は最後に思いきって大きく跳躍すると、空中で両足を4回半打ちつけた。 自分としてはなかなか会心の出来だったのだが、これに対して下された評価は「チョコレート・キャラメル6粒程度に相当」といういささか厳しいものであった。 Nr.170『詰め物日和』 包みを開くと、出てきたのは大きな歯車のぬいぐるみだった。──私はもうとうにぬいぐるみで遊ぶような年頃ではなくなっているのだけれど。 Nr.171『リノリウム叢書』 本当は痩せているのにちがいないと彼がしつこく主張したので、それでは本当のところを確かめてみよう、ということになったんだ。まあ、我々も若かったからね。 次の日、ガリマール教授がやってくるのを見計らって、用意していたバケツの水を浴びせかけた。──彼の言う通りだったよ。全身の毛が濡れて体にはりつくと、まん丸だったガリマール教授が針金のように細くなった。ただ、うまく水がかからなかったしっぽの先端だけは大きくまるくふくらんだままだったけれどね‥‥ Nr.172『夢のもつれ』 おそらくは左右のばた足の各度が不均衡となったことが原因で変化が生じたのだろう、というのが博士の見解であったが、私にはそれだけではないように思われた。 (何にせよもう一度確かめる必要がある) 突如として根拠のない圧倒的使命感に駆られ興奮した私は、その夜遅くこっそりと寮を抜け出したのだった。 Nr.173『夜のクリップ──泡の椅子、パンの壁──』 「そうですか‥‥ありがとうございました」 受話器を静かに置いた。──これで43回めだ。縞模様の犬たちが裏から手を回しているのであろうことはほぼ間違いない。しかしそれを証明できるものは何もなかったから、慰めに自分に言い訳することさえできないのだった。 ‥‥遠吠えのハーモニーが聴こえる‥‥ Nr.174『うきうきアンモナイト』 「つまり、結局はまた言い負かされたんだね?」 彼はそれに答えることはせず、生地をアンモナイトの殻の形に整え直し、持ち上げて裏側を確認するとかすかに眉を寄せた。 「‥‥言いにくいけど、その渦巻きや溝なんかは焼き上がったらわけがわからなくなるだろうね」 それを聞いて彼の眼はますます光を弱めた。 Nr.175『夜のクリップ──雷鳴がきこえる──』 「いうなれば、嘘であってくれたらと力強く願う気持ちがこの仮面には込められているのです」 私にはその「仮面」がどうしても乗馬用のヘルメットにしか見えなかったが(しかも結構汚れている)、彼女があくまでそう言い張るのならばまあ言わせておけばいい、と思った。 「あるいはある種の呪いであるともいえます…ガーピガガポー……ゴッ。」 ほら、興奮してそんなに振り回すから‥‥
by YuyusInstitut
| 2003-09-06 15:30
| 羊のいる風景
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