帰宅すると、ドアの前に箱が置かれていた。中身は開けなくてもわかっていた。毎週月曜日になると私の部屋には誰かから箱が一つ届けられる。中にあるのは、帽子。 素材もデザインも毎回違い、真夏に毛皮製のものが届くようなことがあったりと、その選択はまったくの無作為のように思われる。ただ共通しているのは、どれも見るからに上等で高価な品ばかりであることだ。 一体誰が何のためにこんなことをしているのだろう。気味悪く思いながらも私は毎週中を見ずにはいられないのだった。 今日届いた帽子を箱から取り出すと、寝室へ持っていく。そこにはこれまでに届けられた108個の帽子たちがいる(きちんと数えているのである)。私は彼らにそっと声をかけた。 「ごらん、新しい仲間だ」 すると彼らは一斉に振り向いて歯をむき出し、どうしたことか突然襲いかかってくるではないか。必死に身をかばおうとしたが、もはやなすすべもない。ぼんやりとしていく中で私が最後に見たのは、109個めの帽子の天使のような微笑みだった。 (2000.10.22) その日は、頭の砂時計の砂がどうにもうまく流れないのだった。こんなことは初めてであり、どうしたことなのかさっぱりわからない。 ‥‥砂の流れが止まると私の意識も停止してしまう。そのため起きている間は1時間おきにこの砂時計の上下をひっくり返さねばならない。落ちる砂が残り少なくなると、耳元に貼り付いているごく小さなベルがちりちりと鳴って知らせてくれる。朝起きるときには、あらかじめ起床時間をセットした特製ベッドで自動的に上体を起こし、再び動きだした砂時計によって目覚める仕組みだ。 ともかく、不安なので砂時計科専門の病院で診察を受けた。医師の診断によると、どうやら中の砂が湿っているようだという。時計の本体に破損や劣化はみられないし、砂が外気にふれるようなことを本当にそなかったのかと尋ねられ、弱り切ってしまった。 とりあえずすぐに砂を入れ替えて元通りになったのだったが、私は密かに妻を怪しいと思っている。あの日の前夜、確かこんなことを言っていた気がする。 「あなたは考え方が古いのよ。いっそ頭の中身をそっくり入れ替えたら?」 (2000.10.27) その店はほの暗かった。中はひどく狭く、レジカウンターだけで一杯である。壁が全面造りつけの棚になっており、細かく仕切られたスペースの一つ一つには兎がそっと置かれていた。どれも色が違っていて、棚から離れて見ると綺麗なグラデーションになるように納められている。 私は迷った末に深い藍色をした兎を包んでもらい、礼を言って店を出た。 家に着いて明るい所でよく見ると、その兎の顔は実にいやらしく狡猾であるように見えたが、それはただ私の気のせいにすぎないのかもしれなかった。 それから数日たったある日の朝、私は妹の姿の見えないことに気がついた。 ふと振り向くとテーブルの上に兎がいて、いかにも退屈そうな様子でサラダ菜をむしゃりむしゃりと噛んでいる。 ‥‥どうやら私は間違った兎を選んでしまったようだ。 (2000.11.2) どうしたわけか、僕ひとりだけがラクダたちのグループと同室になってしまった。もちろんリーダーに抗議はしてみたのだが、卑怯にも自分のミスは棚に上げ、「ラクダだってお友達」の歌を歌いだす始末だ。もう最悪のサマーキャンプである。 ともかく、こうなった以上はもはや諦めるしかない。ため息をついて僕はロッジの戸に手をかけた。 僕が入っていくと、それまで賑やかに喋り合っていたラクダたちはぴたりと黙り込み、一斉にこちらを向いた。 中で最も小柄なラクダが近づいてきて、僕を輪に招き入れる。そしてそっと首を傾げながら静かにこう言った。 「ジュリア集合について君が強く思うところをぜひとも聞かせてもらいたいのだが?」 ‥‥全身から汗がふき出すのを感じた。ラクダたちは皆長いまつげをぱちぱちさせながら僕を痛いほどじっと見つめている。窓の外は、いつのまにか闇にのまれていた。 (2000.11.15) 私の屋敷が燃えている。夜空を紅く照らす炎が閃く様子は、遠く離れたこの丘の上からでもくっきりと見えた。 ‥‥そもそもの始まりはあのホテルだった。昼食をとっていると、ついてきた小さなライ麦パンが唐突にこう切り出したのである。 「私と手を組まないか。まさか今の生活で満足しているわけでもないだろう?」 冗談ではない。この世でライ麦パンほど信用ならない相手もいないだろう。そんなことくらい誰だって知っている。 私の返事を聞くなりパンは表情を変え、突き刺すような眼で睨みつけてきた。それですっかり落ち着かなくなった私は然るべき行動に出た。──つまりは食べてしまったのである。 それからというもの日々は一変し、今や私は何もかもを失った。 ‥‥森の方からうおんうおんという音が響いてくる。それも次第に数を増し、どうやら確信をもってこちらへ急速に近づいているようだ。 (2000.11.24) 伯父から小包が届いた。伯父は毎年私の誕生日には必ず贈り物を送ってくれるのだ。 包みをほどくと、出てきたのはなんとも妙な品だった。大きさはちょうど手のひらにおさまるくらいで、丸みを帯びた木枠にはめ込まれた魚眼レンズのようなものである。 何に使うものだろう?眺めていた私は目をみはった。レンズの奥になにかが見えてくる。そう、ちょうど急に暗いところに入った後に目が慣れてくるときのように、しだいにはっきりと。 良く晴れた牧場だった。白と黒のぶちになっている牛たちが、のんびりと歩き回ったり、あるいは草を噛んだりしている。子牛も何頭かいるようだ。 包みの底にあったカードを開いてみる。 “誕生日おめでとう。この万年筆はプラハ滞在中に見つけたものです。気に入ってもらえたかな?” ──なんだかよくわからなかったが、とりあえずその日の午後はずっと牛たちを眺めて過ごしたのだった。 (2000.12.1) 最後にやってきたのは、品の良い感じの老婦人だった。 ただ1つ残っていた品物を出して見せると。婦人の眼の奥でかすかに星が瞬いたように思えた。支払いを済ませた後で婦人は言った。 「長い間ずっと探していたものをこれでやっと手に入れることができました」 彼女はどこか不安げにも見える淡い笑みをちらりと示し、出ていった。 ‥‥ここで扱う品物は1種類のみ。研究所の所長であるQ博士が描く「耳」の絵である。2〜3週間に1度窓口を開けて販売を行っている。1回に出すのは3、4点だけで、売り切れればその日の営業はそれでおしまいとなる。 同じ客は2度と姿を現すことはなく、訪れる人は年令も職業も出身もさまざまなようだ。彼らがどこから伝え聞いて来るものなのかはわからないが、売れ残った日は1度もない。 彼らの誰もが、各々の選んだ絵の耳が自分だけのためのものだと確信するという。 (2000.12.8)
by YuyusInstitut
| 2001-01-01 00:00
| フラミンゴ博物館
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