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カテゴリ:羊のいる風景( 16 )

*Archiv*入り口 (最終更新:2011/10/08)

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(「羊のいる風景」とは?→“「羊のいる風景」のこと”

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 Nr.1-25  Nr.26-50  Nr.51-75  Nr.76-100

 Nr.101-25  Nr.126-50  Nr.151-75  Nr.176-200

 Nr.201-25  Nr.226-50  Nr.251-75  Nr.276-300

 Nr.300-311

 モーモー・ミニアチュール

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by YuyusInstitut | 2011-10-08 09:12 | 羊のいる風景

羊のいる風景 Nr.301-311

 Nr.301『黄色、それは太陽の色』
 真新しい靴下は白い靴と明るいブルーのセーラーカラーシャツによく映えた。海に心寄せる装いは、ささやかな夏の楽しみでもある。
 通りでふと足下に視線を感じた。気のせい?——いやそうではない。そして、確実に増殖してくるそれらが好意的なものではないこともすぐに知れる。侮蔑にみちた忍び笑いがひたひたと押し寄せ、まとわりつく。
 とうとう一人が笑顔を全面に広げて掲げ、向かってくる。
「素敵な色の靴下ですね…!」
 その瞳は深く艶のない闇をいっぱいにたたえていた。


 Nr.302『特製最高級クリーム』
 あそこだ。同じ白い服を着、左手には桃を一つ。みな急ぐともなくゆるやかに集まっていく。階段を上がり窓口で一人ずつ自分の桃を提出し、代わりに銀のプレートを受け取る。反対側の階段を降りてまたそれぞれ散っていくのだった。すべては整然、果実の芳香さえもただそっと辺りを包んでいるのみ。
 私も、自分の桃にもう一度目をやると歩きはじめた。


 Nr.303『縁取りコレクション』
「本日の入場条件:ピーナッツバターが好きな方」
 おおそれはまさに私のことではないか。思わず小躍りしたいような衝動を抑制しつつ、列についた。
 しかし、確固たるものと思われた私の入場権は、コーヒーに投入した綿菓子のごとくたちまちのうちに消失することになる。受付の男はなめらかに言った。「誠に失礼ながら、ピーナッツバターはあなたを好きではないようなのです」


 Nr.304『焼き栗ロックンロール』
 背後の気配に気づいたのは、坂に入ったときだ。一見ごくふつうの通行人を装い、何気ないふりをしつつ、がしかしひたひたと確実に——などということはなく、あからさまにはりついている。
 私が立ち止まれば、追跡者も立ち止まる。ついにたまりかねてきっぱりと振り向けば、直線的な視線が一斉に降り注いだ。私の背後の列は、蛇行を繰り返しながら今や丘の下にまで達しており、さらにまだ伸びていく様子だった。


 Nr.305『季節の楽しみ』
 新しい厚地のコートに私の体はぴたりと——まるでこのコートのために誂えたかのごとくきれいに吸いついた。
 ボタンをすべてはめ肩の力をぬくと、私の姿はほぼ球になる。‥‥素晴らしい!
 雪がさらに厚みを増し上質なフェルトのようになったとき、私は扉を開け外へ出よう。そしてコートの丸みを利用し、まだ誰もふれていないまっさらな雪の表面に、半球の凹みをいくつも作るのだ。


 Nr.306『艶消しの頃』
 匂いについてはこの際もう問うまい。模様もまあ受け入れ不可能ともいえなくはない。けれど——問題は色だ。いくらなんでもこれはないだろう。ほら、通りすがりに目にする人がくしゃみを繰り返しているではないか?


 Nr.307『光のテーブル』
 彼が揚げるドーナツは妙に穴が大きい(ドーナツというよりはむしろドーナツの穴を揚げているともいえる)。
 彼はひたすら集中し作業を続けており、ドーナツの穴につめるために彼があらかじめ作っておいたパパイヤクリームに小さなつきのわぐまがもぐりこんでいることにも、まったく気づいていないようなのだった。


 Nr.308『探偵ルルミールの冒険』
 一見して仕立ての良さそうなツイードのジャケットを着込み堂々と直立しているのは、先月の末に私の家のオーブンから逃げ出したハムであると私は確信する。
 あの特徴的な焼き目、そして印象的な照り。むろんすっかり冷めているが、まちがいない。けれど、今の私にはどうすることもできないのだ。
 諦めきれずその場に立ち尽くす私に、ハムは壇上からまっすぐに視線を向けた。——完全に私の負けだった。


 Nr.309『紅茶の町』
 最後にただ一つ残っていたのは、用途の知れない小さな玉だった。材質は不明であったが——革か木のようでもあり、また鉱物とも見える——やけにしっかりとした重さを備えている。
 艶を増しながら日ごとに大きくなっていくそれに、私はまだ名前をつけられないままだ。


 Nr.310『クリームになる』
 こうして潜りこんでしまえば、嫌な色の音もざらついたつむじ風も、追いかけてはこない。
 私はパンの皮に手をかけて生地を浮かせ、奥へ進む。いまだほのかに余熱をたたえるやわらかな深部へと。


 Nr.311『きのこ風味に憧れて』
 道はせわしなく蛇行しながら斜面を這い、森の濃い部分へと潜り込んでいる。その先は、おそらくあの古い回転木馬へとつながるのだ。馬たちは今日も全力疾走しているにちがいない。朝もやの中でたてがみをなびかせ、蔓草を振り払おうと懸命に。(1頭だけ混じっている白いキリンは、先頭なのか、それとも最後尾なのか?)
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by YuyusInstitut | 2011-10-08 09:04 | 羊のいる風景

羊のいる風景 Nr.276-300

 Nr.276『伊勢海老の微笑み』
 残っているのは、ポットに入っている薄いコーヒーだけだった。それにしたところで1杯と2/7ほどしか残ってはいないし、すっかり冷めている。
「入れ直そうとしても駄目だよ。紫熊がコーヒー豆を全部食べてしまったからね。残念だけれど、そういうこと」
 色のついていない声で彼が言った。


 Nr.277『腹部の部屋』
 これは傷ではないのだ、と彼は言った。そしてそれを示すため、実際に開けてみせてくれた。内側に取り付けられた小さい蝶番で開閉できる仕組みで、中はこじんまりとした書斎になっていた。壁は全面書架になっており、本がぎっしり詰まっている。背の高い革張りの肘掛け椅子は、よく使い込まれていて、いかにも座り心地が良さそうである。


 Nr.278『軽い花』
 互いにほとんど触れあいそうなほど木陰に密集している乳牛たちは、まったく親しくないというわけではないものの、会話が弾むほどの仲ではなかった。しかし、そこにある沈黙はむしろあたたかなもので、のびのびとやわらかく、午後2時の木陰を包んでいるのだった。


 Nr.279『高級チョコレート』
 くすんだ青色をしたその草は、つやもなく目立たない印象であったが、私にはわかっていた。その葉の中に極上の水がたくわえられているということを。
 人気がなくなるのを待って、私はペーパーナイフ(骨つき肉をくわえて走る犬の姿が柄になっている)を取り出す。──ナイフの刃が草にふれるよりも、草が私の腕を掴んで締め上げる方が早かった。声を出す間もなく、あっさりと口も塞がれてしまった。


 Nr.280『あなたの小宇宙』
 作り始めるまでは、根拠なき絶対の自信をもって計画していたのであるが──実際に作業が開始してみると、微細なずれやねじれがあちこちに生じ、その場しのぎの間に合わせが混入し、裏返しになったままでもはや手の施しようもない状態のものが割り込みだし……といったぐあいに、状態は悪くなる一方なのだった。
 私はせめて呼吸を整えていようと努めるが、時にはそれさえも思うようにいかない。今日に至っては、注文したコーヒーのお代わりさえ忘れ去られたままのようだ。


 Nr.281『やわらかい実験室』
 すなわち、原材料にミロリウムがわずかでも含まれていれば、液体の色は無色透明から透き通ったブルーに変化する。含まれていなければ、何も変化は起こらない。
 一同は息を詰めて試験管を見つめている。滴が落とされると、中の液体の色彩が揺らいだ(注17)。──赤。ルビーのようにあざやかな。


 Nr.282『集中豪雨』
 私の真上だけがやけに爽やかに晴れ上がっているのは、最新流行の呪いか何かに由来するのだろうか。ただひとしずくのしぶきさえも私には近寄ろうとせず、私の周囲はスポットライトのように丸く照らされているのだった。周囲の人々は、羨望というよりは嫉妬と憎しみに満ち満ちた、黒光りする鋭い視線を私に突き刺してくる。
 ……雨は、なおいっそう激しさを増していくばかりだ。


 Nr.283『ロールケーキ劇場』
 組み立てるのは、さほど難しい作業ではない。問題はその次の着色なのだった。色の調整が適当でないと、ずっと後になって──そう、最終の行程において、致命的な破綻を生じることになる。
 そのため、着色作業にあたっては、誰でも多かれ少なかれ緊張を感じるものだが、とりわけ繊細な彼であってみれば、なおさらのことだろう。
 私は、震える手で刷毛をつまんでいる彼の反対側の手に高級干しいちじくを一つ握らせてから、一瞬だけ微笑んでみせた。


 Nr.284『なめらかな数字』
 ようやく最後の一つを磨き上げて並べると、りんごたちはゆっくりと深呼吸をし、それから静かに浮き上がった。
 りんごたちは一列になって、ゆったりと蛇行しながら西をめざす。夕暮れの薄桃色の光を贅沢なくらいに浴びて。


 Nr.285『瓶詰コレクター』
 クフルさんの作るスープは、とてもおいしい。
 スプーンでくるりとすくって喉に流し込むと、さまざまな香草の風味が幾重にも複雑に折り重なって体にしみ込んでいき、凝り固まっていた疲労がふっと緩むように思える。
 中に入っているのは色とりどりの豆で、どれも見たことのない珍しい形をしているのだった。


 Nr.286『眠い日』
 というのもそもそも彼が危険を知りながらあえて消しゴムの中に隠して持ち込んだ毛艶の良いつきのわぐまはしかしその傲慢と粗暴が丸出しでほら見るがいい奴は今やテーブルを我がもの顔で歩き回りしまいには皆が心から楽しみにしていたさくらんぼのケーキをむしゃむしゃと
──そこで彼が遮って、透明な声でまっすぐに言った。
「つまり、私は今日ケーキを食べることができない。そういうことなのですね?」


 Nr.287『パン屑書簡』
 直視しようとするまいと奴に見舞われることはいずれ避けようがないのだから、あれこれ悩んだところで無駄なこと、というのが彼の言い分である。しかしそう言いながら、この話題を持ち出すのはいつでも当の彼自身だったのだし、彼が以前からこっそりと逃亡の準備をしているということを、私は知っている。
 彼はビスケットが湿ってしまうのを恐れているのだろう。パラフィン紙で慎重にくるんでからアルミホイルで包む作業を、なにげない風にして毎日少しずつ進めていた。


 Nr.288『毛糸玉幻想』
 そう、彼はたとえば毛皮を裏返しに着ていても気にしない──より暖かいのであえてそうしているのだと本人は力強く主張するが、仮にそれが本当であるというならば、どうしていつもは裏返しにしていないのだろう──ような種類の羊である。


 Nr.289『冬のページ』
 指示されたとおり屋台に立ち寄った。メニューには載っていない、揚げパンを2つ注文する。1つではだめだし、3つならなおのこといけない。
 しばらくして、紙にくるまれた出来たての揚げパンが2つ手渡された。皮の外側でしゅうしゅうぱちぱちと油のはぜる音が両手からも伝わってくる。
 本当にこの中に?しかし、試しにかじって火傷をしてみるまでもないのをすぐ知る。──左の揚げパンから小さなつきのわぐまが皮をめくり上げて顔を出し、にやりと笑ったのが確かに見えた。


 Nr.290『11番目にお気に入り』
 そう、それはちょうど、バウムクーヘンの生地層を一枚ずつ慎重にはがしていく作業にも似ていたかもしれない。データが示しているのもつまりそのようなことなのだろう。
 そんなことを私が思っていると、彼はテーブルを立って両手で星空を捧げ持ち、そのままそこで涙をぽとぽととこぼしはじめた。
 彼の重たい涙の粒は、木製のテーブル板に食い込んで、丸いいくぼみをいくつも作った。


 Nr.291『バターの記憶』
 彼が皿に載せて運んできたのは、私の嫌いな濃い緑色をしたチーズだった。しかも少し古くなっているのらしい。この種のチーズ独特の匂いはさらにいやらしく増強しており、私の鼻腔からたちまち喉へ入り込み、胃を内側から侵蝕しはじめた。
──とそこまでタイプしたところで、ノックの音がした。聞こえないふりをする私に構うことなくドアが開く。
 振り返らなくてもわかる、はみ出しそうなくらいの笑顔を顔にのせ、ノーノが立っている。そう、チーズの皿のワゴンを脇に。


 Nr.292『点在の感覚』
 パン生地が逃げ出したのは、ほんの一瞬目を離した隙のことだった。──発酵させすぎてしまったのだろうか?あるいは、私がペカンナッツをくるみで代用したことが不満であったのかもしれない。
 裏口の戸が少し開いていて、その隙間から夕刻の薄紫色の空気がこぼれてくる。
 あのパン生地は、もう町の境までたどり着いただろうか。それとも、木苺の茂みの中にでも身を潜めているのか。
 ──夜が、近づいてくる。


 Nr.293『青の情景』
 これらのガラス玉には、色ごとに固有の分類番号がふられている。私たちは該当する番号の玉を探し、リストの順番どおりにフラスコの口に落としていSく。P653, Zd177, Qrr005, D919, ...
 私たちはそれぞれ集中して慎重に仕事を進める。部屋は、ガラス玉がたてる透き通った音のさざ波でいっぱいになっていく。


 Nr.294『点線の箱』
 そろそろ煮えているはずなのだが、どこか奇妙な様子だ。わきあがる不安を押し殺して息を止め、そっと鍋のふたを取る。
──やはり。中は闇をたたえた底知れない穴である。長い時間火にかけていたというのに鍋は冷えきっていて、静かに何かを思い出そうとしている風にも見えた。


 Nr.295『暴走マッシュルーム』
 本当のところ、色など何色でも構わなかった。私に課せられた役割はただ店員の注意をこちらに向け、いくらかの時間稼ぎをすることだけなのだから。
 店員が、退屈したうさぎのような表情で箱のふたをとる。新色は苦味をふくんだざくろの赤だった。そのつややかな深みに、私は無意識にひきつけられていた。遠くからサイレンの群れが近づきつつあるのを、聞くともなしに聞きながら。


 Nr.296『明日の輪郭線』
 好物の西瓜ガムを購入しようとしたとき、包みの角が一ヶ所つぶれているのにマルレムは気づく。
 角がつぶれていたからといって中のガム自体にさほどの影響はなく、また何者かがマルレムの日曜日を損ねるために故意に生じせしめたというわけでもないとはわかっていたが、それでもマルレムは傷つけられた気持ちになる。よく晴れた日曜日の午前中、マルレムはしばしばこんな風に繊細になることがあった。


 Nr.297『呪いのキャラメル』
 状態はあまりよいとはいえない。コート、ジャケット、本、レコード、革靴──そんなものがそれぞれ積み上がり、不安定な形状の塚をいくつも形成していた。「何をいくら買ってもきりがない」と彼はしばしばこぼすが、あたりまえである(と言おうとするそばから彼は爪先立ちになり、脱いだコートをまた一着山の頂点に重ねようとしている)。
 けれどこの混沌のなかにおいても、彼の相棒である飴色をした年代物のグランドピアノだけは塵一つ寄せつけずに艶をおび、しっかりとした立ち姿を保っていた。


 Nr.298『ホノルル』
 私はゼラチンのオムレツを頼み、カポワはアボカドのグラタンを選んだ。──カポワは、連れと同じものを頼むことを決してしない。それが彼の流儀なのである。
 テーブルに湯気立つオムレツがやってきた。私が注文を示した際の彼の左眉のわずかな運動から、彼が本当はこのオムレツを食べようと強く思っていたということを私は知っているが、彼の自尊心に配慮し、それに気づいていないふりをする。それが、私の流儀なのだ。


 Nr.299『どうせとけてしまう』
 こうして糸を巻くのもこれで最後になるということを、私はそっと自分の頭のテーブルに横たえた。最後にして最高の糸玉を持つ右の掌に意識を集め、この存在感をどうにかして記憶しておこうと試みる。温度、重さ、匂い、表面の触感、いやそんなものではなくて。


 Nr.300『表面張力』
「つまりは苺の断面と同じようなものですね」
 苺の断面?ロロイムの口にすることはしばしば不明瞭な要素に包まれている。たとえばこの場合、断面とは苺のへたに対して垂直に切断した場合に生じるものについてなのか、それとも水平に切断した場合を前提としているのか。……
 私は黙したままガラス鉢に盛られた苺に手をのばし、大粒の一個を取って口に放り込む。彼は何か言いたい様子だったが、私は気になどしない。
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by YuyusInstitut | 2007-06-09 16:18 | 羊のいる風景

羊のいる風景 Nr.251-75

 Nr.251『ヒメオドリコソウ』
 左腕に不自然な温かみを感知した。
 見ると、腕時計が歯車を吐き出している。歯車たちは時計からしゃらしゃらと落ちると、みなすごい速さで地面にもぐってしまう。──彼らの出身地方を確認する暇など、用意されてはいなかった。


 Nr.252『海辺の生活』
 毎日のこととはいえ、この時間帯が近づくと私は少し憂鬱になった。
 そもそも、まず部屋の空気からしていけない。それで、無駄な抵抗ではあるが、窓をいっぱいに開く。まあ、これでもわずかばかり気休めにはなったからだ。
 耳をすますと、波の音の間からイソギンチャクのハミングが聴こえる‥‥。


 Nr.253『ほろ苦い層』
 ビスケットが置かれていないのは、私の席だけのようである。私はことさらに何でもないと感じているふりをする作業に集中した。
‥‥こんなにも真摯に物事に取り組むのは、いつ以来だろう。水ひよこ養育士の国家資格取得をめざしていた若き時代を、私はただめまぐるしく回想していた。


 Nr.254『深呼吸の妙』
 緑色の丸天井を眺めながら彼が考えているのは、6日後のことについてである。
 その日の午後、彼は珍しい色をした胡桃の実を得ることになるだろう。それに備え、あらかじめ気分を整えておかねばならない。
 彼はキウイ・フルーツを3つ出してきてそのままジューサーに放り込み、スイッチを入れた。


 Nr.255『園芸日記』
 温室の中心部に大きなきのこが生えてきているのに気づいたのは、昨日の夕方のことだった。一晩のうちに成長を続け、今やその高さは6メートルをゆうに超えていた。地面には、菌糸の網の目がタイルの目地のように整然と広がっている。きのこの傘は大きく広がり、銀色の胞子をたえまなく雪のように落としていた‥‥
 彼はたてつづけに4回くしゃみをした。どうやら、胞子片が鼻腔の粘膜を刺激するのらしい。


 Nr.256『深海のサーカス』
 窓があるにはあったが、分厚いガラス板がはまっていて、そこからは輪郭のはっきりしない光線が少量入ってくるだけなのだった。床にむき出しているレンガは白い壁と同様にひんやりとし、静寂をたたえていた。
 浮かれた黄色い太陽も、さすがに歯が立たないとみえる。


 Nr.257『いつもそこには苺ジャム』
 ようやくカッルーガ氏の電話から解放されたのは、37分後のことである。テーブルに戻ると、スープ皿の中央に双葉がすっくと立っていた。
 知らず知らずのうちに、そのやわらかでみずみずしい双葉にふれようと、私の手がのびる。──明かりが音もなく落ちた。


 Nr.258『栞クラブ』
 固唾を飲んでページをめくると、そこにつやつやとした雌カンガルーが一頭現れた。
 一体いつから挟まっていたのだろう、本のページと同じくらいに平べったくなり、すっかり乾燥している。そうして、警戒しつつも私の右耳を細かく観察している風だった。


 Nr.259『万華鏡発電所』
 念のために裏返しにもしてみたが、もう元には戻らなかった。
 この世界において取り返しのつかないことの占める割合について、あるいは再認識が必要かもしれないということを、私はこのようにして知る。


 Nr.260『楕円の日』
 カーテンを開けるとそこは黄昏時の公園で、カルシウムまじりの風が大噴水に挑んでいるところだった。
 人影はない。ただ雑多な足跡だけが乱暴に通り過ぎていく。──そんな時間なのだ。


 Nr.261『旅のハンカチ』
 じっと見ていると痛くなりそうに眩しい縞模様の合間を縫うように歩いているのは、1年前の私だ。青い日傘をさし、オーガンジーのリボンがついた白い帽子を被っている。
 私はアイロンを置いて、まだ熱を含んでいるハンカチを持ち上げ、角を合わせてふわりとたたんだ。──帽子をあの部屋に残してきたことを、少し後悔している。


 Nr.262『点線の情景』
 声も出さずに泣く彼らに、料理長はいちじくのスープ──とっておきの──をふるまった。
 彼らに表れた反応はさまざまで、そのすべてを一つ一つあげることは困難をきわめる。そのため、ここではいっそ何も語ることなしにただ番号をふるものとする。


 Nr.263『雲の骨』
 薄青く透き通ったゼリー越しに見る噴水は、なんとも涼しげである。彼はあっさりと我慢の姿勢を放棄し、ゼリーに突き進んでいった。
 ゼリーは、ひんやりとなめらかに彼を包み込み、前に押し出した。──彼が喜びを胸に目を開くと、そこは舞台の上である。シャツと靴下と眼鏡だけをつけた彼は、すべてを閉め出すべくふたたび瞼を下ろす。スポットライトの熱と7339人の聴衆の視線とを、皮膚にくっきりと感じ取りながら‥‥


 Nr.264『風力3』
 紙飛行機群は、海上にさしかかると群れを解き、空へ落下するようにぱらぱらと散った。第2、第3の群れも同様であった。
 一見ことごとくオーレルの言ったとおりの展開になっているようにみえたが、一同は驚嘆するどころかむしろなおいっそう冷え込んでいくばかりなのだった。


 Nr.265『くらげ紀行』
 坂の上に立ち私に手を振っているのは、クランテである。惑星から惑星へと一飛びに移動できるほどの跳躍力を備えている彼だが、普段はなんとも不器用でひよわげに見えた。
 私が気づいていないと思ったのか、さらに大きく手を振った──と思うやいなや、クランテは勢い余って倒れ込み、笑顔で私に手を振りながら通過し、坂道を転がり落ちていった。


 Nr.266『ひび割れゼリー』
 フルルカの動作に反応する小さい動物の存在に気づいているのは、私だけのようだ。
 名もわからないその動物は、いまや姿も彼にそっくりだ。いうなれば精巧なミニチュア模型である。彼が手でつまんでいる輪切りのライムに至るまで、正確に縮小されていた。


 Nr.267『羽毛の作戦』
 すべて終わったら、くらげたちをまとめて会議室まで運ぶよう、指示を受けた。──ドアが閉まり、そうして私は一人残された。
 夜明けを迎えても作業は終わらなかった。くらげたちはひんやりとして、くったりとして、哀しいまでに軽い。本当に生きているのだろうか……もう、手に吸いついてもこないのだ。


 Nr.268『青のコレクション』
 灯台の下の大きな岩──雨に濡れると獏そっくりに見える──に、オーレルは立つ。腰に両手をあて、背筋をぴんと伸ばし、爪先立ちになっている。
 彼はおそらく数えているのだ、具合い良く形の整った波の数を。さほど熱心な様子ではないけれど‥‥


 Nr.269『梯子の技術:基礎編』
 私は誰よりもたくさんつかまえたが、それらはどれも色のない魚ばかりだった。周囲の客は皆、鮮やかな黄色や空色、ピンク色など、さまざまな色をした魚をガラス鉢に入れているというのに。
 私はビスケットを取り出して、それを少しずつくずしながら魚たちに与えた。本当は昼食代わりに持ってきたのだが、私は食欲がなかった。ビスケットは、やや湿っている‥‥


 Nr.270『ゼロの光景』
 調べようにも、もはや判読することはできなかった。文字はキャンディーで書かれていたために、この暑さと湿気ですっかり溶け、流れてしまっていたのだ。
「これはうっかりしていた。どうしたものだろうね?」
 両手の指をこすり合わせながらそう言う彼は、言葉とは裏腹に、これまでに私が見たこともないくらい嬉しそうにしている。
 息苦しさを感じた私は窓を開ける。風はなかった。それこそとっておきの、純粋なる無風‥‥


 Nr.271『綿埃のロンド』
 パンに顔をうめて眠るには、彼はもはや年をとりすぎていた。──それに気づいてしまってから、彼の気持ちの表面は不安定に波打ち、独特の規則性を有する珍しい縞模様を形成することになるのだが。


 Nr.272『幻の爪切り』
 色とりどりの風船に囲まれて気に入りのソファーに腰掛けているポイルは、幸福に全身を輝かせていた。──そのままそっとしておいてやるのがいいと私たちは思い、実際そのようにしたのである。


 Nr.273『微炭酸』
 風が少し出てきた。
「場合によっては、あそこにああして立っているのは私だったかもしれないわけだよね」
「正確には、“私もあそこにああして立っていたかもしれない”だろう?」
「‥‥さしたる違いはないさ」
「いやいや、それらはまったく異なるものです」
 そう言って彼はオペラグラスを鞄に放り込み、コーヒーの残り(すっかり冷めてしまっている)を飲み干した。


 Nr.274『旅の手帖』
 並木道の中央を、一頭の毛艶のよい雌カンガルーが、大きなガラスの鈴を振り回しながら前進してくる。
 カンガルーは“オルルーシオまたは5月の色”という名で、鈴に通してある革紐には、その名前が正確な綴りで印字されていた。


 Nr.275『夜は呼吸している』
 最後の1滴を大切に受け止め、しっかりと栓をした。壜を持って軽く振ると、糖蜜は中で暴れてみせる。怒っているのだ。
 その場を離れ、丘の上から様子を窺う。そのうち楓の木の周囲に明かりがちらちらと現れた。縞模様の犬たちの怒りにみちたうなり声を耳にして、私は丘をそっと下り、トンネルを抜けた。
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by YuyusInstitut | 2005-09-17 16:27 | 羊のいる風景

モーモー・ミニアチュール(最終更新:2005/10/16)

 メールマガジン「羊のいる風景」のバックナンバーから、牛をモティーフにした内容のものを抜き出してみた。
Nr. 56, 76, 101, 103, 121, 138, 159, 189, 217, 221−3,278
(4年ほど前から、携帯端末対応のメールマガジン「羊のいる風景」を発行している。分野は一応文芸で、散文ないしは超短編、あるいはその断片のようなものである)
 「牛乳」も強引に牛関連とすると、278編中*、ざっと見たところ上記の13編があった。約4.68%の割合というわけだ。

──ところで、バリー・ユアグローの超短編集『一人の男が飛行機から飛び降りる』(新潮社 1996)の最初に収められている「牛乳」は、魅惑の牛物語である。何度読んでもいい牛味。


*:この記事最終更新日現在
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「羊のいる風景」:モーモー・セレクション
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by YuyusInstitut | 2005-06-19 00:42 | 羊のいる風景

羊のいる風景 Nr.226−50

 Nr.226『濃紺のレトリック』
 ひどい有り様だった。ウィンドウのガラスは割れて通りにまで飛び散っているし、店のトレードマークである砂糖菓子の羊は、角が片方折れてしまっていた。今朝早く縞模様の犬たちの襲撃に遭い、店頭のあんずのパイ3つと、倉庫に保管していた干しあんず8袋が強奪されたという。


 Nr.227『妄想百貨店──ハンカチ売り場──』
 ミモザの花が刺繍された、レースの縁取りがある白いもの。沢山のハート型が折り込まれた夕陽色のもの。のびのびとした気持ちの良い黄色の地で、幅の広い花模様の白い帯が縁についているもの。白地に淡いグレーで繊細なペイズリー柄が入っているもの……。どれも綺麗にアイロンかけられていた。静かに、そこで誰かを待っているようだった。


 Nr.228『夜のクリップ──鳩時計と枕──』
 部屋は暗い。邪悪をむき出しにしたがらがら声の男と、善人を装った薄い声の女が、長いテーブル越しに向かい合い会話している。どうしようもなく恐い、あるいは恐くてどうしようもない。
 目覚めても、闇の匂いがあった。


 Nr.229『コーデュロイの季節』
 ハンカチを取り出すと、何かが転がり落ちた。拾い上げてみると、それはコーヒー挽きをかたどった黒檀のボタンだった。例によって、私のものではない。
 飾り棚の最上段の引き出しを開けた。今ではボタン専用の引き出しになっている引き出しである。私は黒檀のコーヒー挽きをぽいと中に放り込むと、静かに引き出しを閉めた。
 中ではまた一悶着おきているらしい。彼らのざわめきに耳をすませながら、私はゆっくりと目を閉じてみる。


 Nr.230『お利口さん同盟』
 「何かに似ている」とは感じながらも、私はそれについて追求しようとはしていなかった。気づかないふりをして奥底にしまい込んでいた。しかしそれは確かにそこにある。冷たくて、小さいけれども重たい。
 暗くてよく見えない。その色を確かめなくては森の外へは出られないというのに。


 Nr.231『マシュマロ幻想』
 浜でたき火をしていたときに、ヒトデのことを思い出した。叔父からのおみやげの、マシュマロで出来たヒトデである。マシュマロはやはり焼いて食べたい。あれだけ大きければ食べごたえがあるにちがいない。さっそく部屋に取りに行った。
 しかし、たき火のそばで枯れ枝に刺そうとしたら、ヒトデが痛がった。こういうのはあまり気分の良いものではない。
──結局私はヒトデを海に放してやった。そして星空の下、ごくふつうのマシュマロを枝にさして火にかざした。


 Nr.232『それなりの焦点』
 彼の部屋は1階ということだったが、見たところ、のっぺりとしたクリーム色の壁ばかりで、住居らしい部分は見受けられなかった。
 それにしても大きなビルである。何階建てなのだろう。下から見上げると、最上部分にぽつんと窓らしいものがあるのがわかった。そのあたりで何かちらちらと動いている。
 彼に言われていた双眼鏡のことを思い出し、鞄から取り出してピントを合わせる。──やけに楽しそうにフライパンを振り回している彼が、確認できた。


 Nr.233『青空のしゃぼん玉』
 拍手がさざ波のようにわいている。人だかりに近づいて、私も覗き込んでみた。──小さなぶたが鼻からしゃぼん玉を吹き出しているのだった。ぶたはきれいなピンク色の肌をしていて、長いまつげとやわらかそうな産毛は金色に光っていた。しゃぼん玉はゆっくりとぶたの形にふくらむと、鼻から出たところでぷるんと球形に変わるのだ。


 Nr.234『数列の楽しみ』
 関心のないふりをしつつ、実のところ私の眼はしっかりと数列をなぞっている。1274,32,889,156,0,356624,71,...
 帰宅するとすぐにテーブルに向かった。あんずを山から取り、一つ一つに数字を書き込んでいく。1274,32,889,...
 縞模様の犬たちの遠吠えも、ここまでは届いてこなかった。


 Nr.235『千鳥格子の日記』
 双生児(さほど仲が良くもない)のフーリエとムリアクト・ココフ・ポレ・パシュクルールは、先週から橋の上で手製のパイを売っている。
 パイの中身は使用ずみのコルク栓で、赤・白・ロゼの3種類用意している。
 ふたりの兄のノイカールによれば、3種のうちではロゼが比較的人気であるといえなくもないという様子が窺えるらしい。しかしいずれにせよ、あまり見栄えがよくないせいか、当初彼らが見込んでいたほど売れてはいないというのが本当のところのようだ。


 Nr.236『ナツメグ男』
 芽を出していないのは私の種だけだった。呼びかけながらなでてみたが、変化はない。仕方がないので踊ってみせることにした。ここぞとばかりにとっておきのダンスを情熱的に。
 ──星が光りだす頃、ようやく種に変化がみとめられた。


 Nr.237『路面電車』
 ターミナル駅近くで蜂蜜輸送車が横転する事故があったとのことで、そこまでで停止してしまった。当面運行は休止するという。
 車両を降りて大通りに入ると、事故現場が見えた。どろりとした金色の池が、音もなく這い出してきている。辺りは妙に静かだった。


 Nr.238『雲海、あるいは静寂の残酷』
 私は階段をかるがると飛び越えて降り、エレベーターに駆け込んだ。円形をしたガラス張りのエレベーターである。乗客は、私だけだった。
 ものすごい速さで上昇していく。庭園はみるみるうちに遠ざかり、鳥の群が過ぎ去り、やがて雲を突き抜けた。エレベーターがふっと止まり、音もなく扉が開く。青い空と、ただただひたすらにまぶしくあざやかな白。エレベーターから一歩踏み出すと──ビロードの闇が私を呑み込んだ。


 Nr.239『森の贈り物』
11:33 問題発生。ウニのフラクテが中心部にもぐり込んで動かない。
   作業は一旦中断せざるをえず
11:50 所長、研究員一同代理として、悪ふざけが過ぎた旨フラクテに申し伝え、謝罪
14:27 フラクテの怒りは依然として沈静化の気配を見せず
15:00 上記に同じ
16:04 ワト通りの菓子店へ、フラクテの好物である木の実のタルトを買いにやらせる
17:24 木の実のタルトが届く
17:28 フラクテと和解、作業再開


 Nr.240『夜明けのモノローグ』
 私のベッドにはタオル虫が1匹住んでいて、彼は大抵3つの枕の間あたりにいる。
 タオル虫は一般に、その名の通りタオルに棲息するものだが、彼は私の枕を気に入っているのらしい。
 でも、今夜は姿を見ることはない。海外で開催されるシンポジウムに参加するため、しばらく留守にするということである。
いつも枕越しに聴いていた、タオル虫がごそごそ動く音の代わりに、ひんやりとしてなめらかな沈黙があった。


 Nr.241『霜グラフ』
 浮かび上がってくる泡を捕獲するのは私の役目だった。泡の発生する量にはかなりむらがあり、黄昏時まで立ち通しの日もあれば、数個しか発生しない日もあった。


 Nr.242『多肉植物の吐息』
 5色までは、誰でも大抵簡単に揃えることができる。問題は最後の1つなのである。
 さて。私は慎重にガラス玉を穴に落とし込んだ。手が、少しふるえた。
 穴に静かに手をかざす。──しばらくして、指のすき間からあたたかくやわらかな光がこぼれ出した。


 Nr.243『栗幻想』
 栗たちはあきれるような勢いで不均一に駆けめぐっていたが、私が手をぱんと叩くと、ぴしりと背筋を揃えてきれいに整列した。それと同時に、不自然なくらいにさわやかな静寂が空気を満たす。
 午後のまるみを帯びた光を受けて、栗たちはつやつやと誇らしげに輝いている。一面、まるで緻密にタイルを敷き詰めたかのようだった。


 Nr.244『おかしなことになっている、あなたが手紙を見ようとしないから』
 スープの仕上がりは薄かった。香草をたくさん使っていくらかの深みを持たせてはみたが、後味はよそよそしく、いうなれば現実感がなかった。
 温めておいた器に熱いうちに注いだのに、飲めば飲むほど体が冷え込んでいく。それでもどうしてか私はスプーンを置く気にはなれず、皿の底にやがて見えてくるはず(と少なくともそう思っている)の苔の花をいつまでも探していた。


 Nr.245『無限の箱庭』
 がとん・がとん・がとん……
 重く硬質な音が、規則正しく飛んでくる。
 こちらへ近づいてきているな、と思っていたら、大きなグランドピアノが角を曲がってきた。なんだか楽しそうな様子だ。私は軽く挨拶をし、訊いてみた。
「どうしてキャスターを使って移動しないのですか」
「新調したばかりだから、もったいなくてね」
 ピアノは照れくさそうに笑うのだった。
 確かにキャスターは新しくてぴかぴかしていた。ローラー部分には、気球の絵柄が彫り込まれている。


 Nr.246『日課練習』
「その線を越えてはいけません」
 係員が私を睨んだ。
 線とは……。いくら見回してみても、それに該当するようなものは見当たらない。私は困惑するまま立ち尽くしていた。
 先ほどの係員の方に目をやると、私に手招きをしている。ほっとして駆け寄ると、彼はにやりと笑った。
 あっと思った時にはもう遅い。私は警備員に両腕を掴まれ、搬送車に押し込まれていた。


 Nr.247『スポンジ主義』
 シナモンの壜は空っぽだった。蓋が脇に放置されているところをみると、またチムリアンが食べてしまったのにちがいない。私はためいきをついた。地下室にまだストックがあったはずだ。
 シナモンの壜を手に戻ると、ドーナツが消えていた。──裏庭へ出る扉が少し開いている。
 そっとのぞくと、柳の木の下で、ドーナツたちが輪になって跳躍していた。輪の真ん中あたりから、くるくると風向きを変えるような独特の旋律が流れ出る。それは次第に濃くなって……


 Nr.248『波の構造』
 湖面を巨大な雲母が滑ってきて、目の前で停止した。
 私は手すりを乗り越える。そっと上に降り立つと、雲母は動き出した。船の回りに弧を描くように旋回し、そのうち勢いを増し、みるみる船から遠ざかっていく。
 気がつけばそこはもはや湖ではない。いくつかの積雲を浮かべた青く澄んだ空の球と、深い海の円を、水平線が区切っている。私はその中心で雲母の上に立っていた。
 シャツをはためかせる風だけが、やけに現実的だった。


 Nr.249『遺品の解読』
 私に手渡されたのは、一面に菜の花が咲いた野原の写真だった。
 表面にスプレーを吹きつけると、白い小花がいくつも現れた。もっと咲かせようと私は奮闘する。スプレーを離すと花が消えていくように見え、重ねてなおも吹きつける。しかし間に合わない、花の株はますます小さくなっていく。
 よく見ると、花は霜と化していた。霜を吹きつけられた草は枯れ、ぐったりと身を横たえているのだった。


 Nr.250『テクニカラー』
 朝のテレビニュースでは、正午には湾岸に到達するとの予想が報じられていた。室内の空気がどことなくそわそわしている。当然だろう。
 塔の鐘が昼休みの開始を告げると、テレビの前に皆集まった。
 テレビのスイッチを入れると、葡萄色をした巨大なきりんたちが、横一列になって港に迫っている映像が現れた。彼ら(あるいは彼女ら)は、1頭を精密に写し取って生成されているかのように見えた。慎重も顔形も、模様の位置から動作までぴたりと合っている。──ただ、つやのある長いまつげをしばたかせることについてだけは、端から少しずつ微妙な時間差を持っているのだった。
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by YuyusInstitut | 2005-03-26 15:00 | 羊のいる風景

「羊のいる風景」のこと

 メールマガジン「羊のいる風景」は、2001年1月3日に創刊しました。
 内容は、思いつくまま書いている、ごく短い断片的小品です。「フラミンゴ博物館」の後身です。

 当初は「嘔吐。」というタイトルで発行していましたが、途中から「羊のいる風景」に変更しました。


 現在“メルモ”と“ミニまぐ”2つの配信システムを利用し、合わせて100人前後の方々が読んで下さっていました(感謝!)。
 2009年10月3日発行の「Nr.311」以降、現在休刊しています(復刊については未定)。



【↓ ※ 休刊中】
※「羊のいる風景」は携帯端末でも読めるメールマガジンです(iモード デフォルト設定を基準にしているため、1通250字以内で配信されます。もちろん他の携帯端末サービスでも読むことができます)。
 購読は無料です。また、創刊以来の方針としまして、本文に広告や他誌との相互紹介文が入ることはありません。
 購読登録されている方のメールアドレス等は、発行者側には一切わからないシステムですので、ご安心ください。
 発行頻度は現在のところ不定期です。

 メルモでは過去60号までバックナンバーが閲覧可能です。
 ミニまぐでは、ミニまぐ版「羊のいる風景」創刊号にあたる「Nr.37」(2001.6.25発行)以降のバックナンバーがすべて閲覧できます。

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by YuyusInstitut | 2004-11-05 01:19 | 羊のいる風景

羊のいる風景 Nr.201-25

 Nr.201『空気を含むアンケート』
──もしも差し支えなければ理由をお聞かせ下さい。
回答:許されるのなら焼きレンガをいくつか投げたいところだったが、実際にそんなことをしたとしたらせっかくの素晴らしい装丁が瞬時にして単なる流行遅れでしかなくなってしまうということが容易に予測できたため。


 Nr.202『驟雨』
 出来ばえは決して悪くなかったと確信しているが、それは単なる主観に過ぎない。周囲にみとめられなければそれまでなのだ。‥‥彼は彼女が踏みにじったプディングの残骸をしばし見下ろしていたが、ふいにすっと遠くを見、踊り出した。そしてそのまま去って行くだけだった。
 入れ替わって雨粒がぱらぱらと落ちてきて、それはみるみる勢いを強めていった。プディング片はというと、何ら抵抗もせずに流されて消えたのである。


 Nr.203『この世の果てで』
 ──こんなことになるなら、もう一本買っておくのだった。田舎風の簡素なデザインが気に入りだった壜はいまや単なるガラス片となり、楓糖蜜の池に浸って空を見ている。


 Nr.204『怯え』
 「小さな塊にまとめて大事にしまっておくしかないよ!」そんな声が頭の深部から響いてくる。‥‥といった次第なのだと説明したところで、きっとわかってはもらえないのだろうな。


 Nr.205『しかたがなくそのときまでは、だけどたぶん確実に生きている』
 一つ仕上げるごとにカレンダーにしるしがついていく。192, 193, ...
 ──楽しいの?
 いや、どうだろうね。だいたい、もともとそういうことじゃないんだしさ。
 ──(いくらか苛立ちぎみに)だから、楽しいの?
 しつこいねまた今夜は‥‥
 ... 202, 203, ... 夜は、まだ明けない。


 Nr.206『夜のクリップ──笑いの王国──』
「決断しなくちゃ‥‥どうしても自分で。存在の意味だとか、欠落だとか、何もかもよく考えて‥‥」
「はははっ、あてつけがましく繊細ぶっていて滑稽だなあ。そんなに深刻に考えるようなことじゃないよね?あはははは」
 ‥‥一振りの風が勢いよく走り抜けていった。


 Nr.207『太陽の色』
 黄色に塗り替えたのは、やはり正解であった。彼は得意になって壁の前に立つ。
 猫たちもまずまず気に入ったようで、彼と並んでゆっくりと壁の表面を観察しているのだった。


 Nr.208『家具のデザイン』
 ところで、気づいたかな?このソファーはクローバーの葉を模したものなんだ。色?まあ、見ての通り真っ赤だよね‥‥


 Nr.209『スキップ日記』
 どんなに気を付けて持ったところで、いつも彼はスープをこぼしながら運ぶことになりました。というのも、スープ皿にも盆にも必ずひびが入っていた(あるいは入れてあった)からです。


 Nr.210『夜のクリップ──濃霧──』
 何も変わってはいないかのように振る舞ってみても、それはごまかしである。色が褪せているのは隠しようがなく、すっかりもろくなり、匂いも僅かに痕跡をとどめているといった程度なのだ。


 Nr.211『私の小さい倉庫』
 鉱物だろうか?色や形、大きさや質感はそれぞれ少しずつ異なっている。一定の間隔を保ってそこにある──というよりは「いる」と言った方がよいような、小さくはあっても確かな存在感を提示していた。
 一つを掌に載せる。じんわりとなぜか胸の詰まるような熱を帯びていた。見かけよりもずっと重い‥‥
 表面を指でふれると、それは種子となって芽を吹き、成長を始めたのだった。


 Nr.212『転職の試み』
「それで今は何をしているの」
「運動不足で肥満したきのこたち(近頃増えているらしい)にダンスを教えている‥‥」
「うわあ、それはなかなか面白そうじゃあないか!」
「‥‥‥‥」


 Nr.213『確認』
 ポットの中は暗く暖かでした。グントは質問をしてみます。
「私がこのままここにいるということは許されているでしょうか?」
 当然のことかもしれませんが、それに対する答えはなかなか返ってはきませんでした。グントは辛抱づよく待ち続けます。曇りのない、まっすぐな気持ちのままで。


 Nr.214『わざと反対側に振り向くときに』
 幾度言われようと、回転を速める気力はもはや持ち合わせていなかったから、潔く無視することにし、黙々と作業を続けていた。
 そもそもは雌鳥のアマンダが原因なのではあったが、ここで可愛そうだなどと思ってしまえば、負けなのである。


 Nr.215『霧の道程:反抗的に──廉価版──』
 ポットから飛んだコーヒーの滴がテーブルクロスに小さな染みを作った。それを見ていたプルヘネ氏は、染みの最終的な形状を確認すると、それきり黙り込んでしまったのである。

 注27:プルヘネ夫妻が離婚したのはこの13日後のことで、このことが直接的な原因であったといわれる。


 Nr.216『夕暮れのお買い物』
 私が包みを受け取ると、店の主人はにかりと笑った(彼の口元から覗いた歯列は、なんとなく地下鉄の駅の掲示板を連想させた)。
 店を出ると、もう日が落ちかかっていた。私の影も足元からぐうっと遠くまで背伸びし、軽く手を振って合図して見せた。


 Nr.217『縞模様会議』
 電話機が突然震えるような声を上げた。受話器を取って耳に近づける。
「モーモー」
 無表情な牛の声が聞こえてきた。
 またか。私はうんざりして、猫のコンカに代わってもらう。
「にゃーにゃー。うにゃにゃー」
 義務的な感じで応対しているコンカを残し、私は外に出る。
(コーヒーでも飲みに行こう...)
 出発まではまだたっぷり時間があるのだ。


 Nr.218『栓抜きの記憶』
 夕食はきのこのシチューにした。午後採ってきたばかりのさまざまな種類のきのこをざくざく切り、たっぷりと入れた特製である。
 チーズを切り、パンを温めたところで振り返ると、シチュー鍋がない。──つと窓の外に目をやると、紫熊のポルルシが鍋を抱えて駆けて行くのが確認できた。


 Nr.219『さようならの日』
 もう決して踏むことはないのだということが、どうしてもうまく体に馴染まなかった。
 私は目を閉じる。そしてゆっくりと足踏みをしてみた。靴が床に触れる感触を、微細な箇所まで逃さず感じ取るために。耳を澄ませるように、そっと。


 Nr.220『雨の歌』
 湯を注ぐと、蒸気が吹き上がった。それは天井の少し下あたりでしばらく好き勝手に渦を巻いていたが、ふいに思いついたかのようにすんなりとまとまっていき、薄い桃色の雲となった。
 雲は、銀粉のような霧雨を落としながら、時折部屋を静かに移動するのであった。


 Nr.221『星空の呼吸』
 私は適当に返事をしながら受話器を右手に持ち替え、キャンディーの箱を取った。
 ちなみにこのキャンディーは、先日件のモウモウミュージアムで購入したものである。一つ一つが乳牛の形をしていて、白い表面にはチョコレートのぶちもついている。元々はPに頼まれて買ってきたのだが、それについてはごまかすことに決め、こうして私が食べているのだった。
 無造作に一頭つまみ上げると、その牛は体をひねってこちらを向き、ややなげやりな調子で短く鳴いた。
「モウ」
 もっとも、口に入れるとすぐにその鳴き声も溶けてしまったのであるが。


 Nr.222『星空の痙攣』
 さては適当に返事をしているな、と私は思った。しかも彼は何か食べているようだ。
 ──先日、彼がモウモウミュージアムに行くというので、生クリームキャンディーを買ってきてくれるよう、代金を渡して頼んでいたのだが、品切れだったという。大変楽しみにしていただけに、残念である。
「モウ」
 かすかに生クリーム牛の鳴き声が聞こえた気が、した。


 Nr.223『夜の記憶』
 私は適当に返事をしながら受話器を右手に持ち替え、キャンディーの箱を取りました。
 ちなみにこのキャンディーは、先日件のモウモウミュージアムで購入したものです。一つ一つが乳牛の形をしていて、白い表面にはチョコレートのぶちもついています。元々はPに頼まれて買ってきたのですが、それについてはごまかすことに決め、こうして私が食べているのでした。
 無造作に一頭つまみ上げると、その牛は体をひねってこちらを向き、ややなげやりな調子で短く鳴きました。
「モウ」
 もっとも、口に入れるとすぐにその鳴き声も溶けてしまったのですが。
  *   *   *   *   *   *
 さては適当に返事をしているな、と私は思いました。しかも彼は何か食べているようです。
 ──先日、彼がモウモウミュージアムに行くというので、生クリームキャンディーを買ってきてくれるよう、代金を渡して頼んでいたのですが、品切れだったといいます。大変楽しみにしていただけに、残念です。
「モウ」
 かすかに生クリーム牛の鳴き声が聞こえた気が、しました。


 Nr.224『色を編む人』
 鳥たちが何かささやき合っている。窓から外を見やると、私の部屋のバルコニーにだけ雪が降っているのだった。私はそっとバルコニーに出てみる。
 雪がしだいに弱まって降り止んだとき、辺りは本当に静かになった。しばらくそこにいてフリーウェイを流れるたくさんの光の点を見つめていると、やがてそれらはにじんで淡い帯となった。


 Nr.225『水玉モーメント』
 そうとも知らず、彼女がやけに自信満々な様子なので、私はよけいに悲しくさせられたのだった。
 ……耳を澄ます。5年ぶりの開催を祝うけたたましいパレードが、いよいよ近づいてきていた。ほら、もうすぐそこまで……。
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by YuyusInstitut | 2004-10-02 14:30 | 羊のいる風景

羊のいる風景 Nr.176-200

 Nr.176『夜のクリップ──歯車と平行線──』
「では始めるよ。ええと──“何かご趣味はおありですか?”」
「はいっ、それは羊の毛刈りだと思います」
 私は溜め息をついた。
「‥‥毛刈りというのは、一般に趣味とは言いにくいのじゃないかな。それに“だと思う”っていうのも、無責任さをそこはかとなく醸し出しているよね、なんだか」
「だって、不確定な要素が約 0.25 パーセント含まれているものだから‥‥」


 Nr.177『温室の音を探しにいく』
 草の波に乗って一気に丘を駆け抜ける!空の高いところでは、星々があからさまな敵意を示し、奇妙に透き通った不協和音を発しながらふるえるように瞬いていたが、今はそれさえも気にならなかった。それくらい、満足していた。大体、やつらは降りてくることすらできないのだ。
 ツーステップの連なりによって家に入ろうとし、ふとそこで何かひっかかりを感じてポストに吸い寄せられる。──見覚えのある薄桃色の封筒がそこにあった。


 Nr.178『コーヒー幻想』
 5秒間待って、ふたたびそっと目を開く。しかし、当然といえば当然のことながら何かが変わっているはずもなく、コーヒー豆たちは依然あてつけがましく不快そうに動き回っていた。芳醇な香りを意味ありげに発散しながら、ごそごそと。


 Nr.179『夜のクリップ──罠の色調──』
「それでは、これまでに一番苦しかったことは?」
「──幼い頃、可愛がっていたウミウシを殺されたことでしょうか。目の前で父が焼却炉に放り込んだのです。…私の顔を見ながら父は笑っていました。“無愛想であることに対する罰”だと言って」
 試験官は微笑んだ。
「せっかくですからここで言っておきますが、この先思い通りにいかないことなどもっともっとたくさんありますよ。それこそもう、いくらでも」
 かつん、とペン先がテーブルで音を立てた。


 Nr.180『同心円の予感』
 ふいに視線を感じて振り向くと、書架の棚の一角にチムリアンの眼が見えた。身をかわすまもなく、チムリアンが眼から発した光線が私の肩を射抜く。肩越しに壁を見やると、光線がそこに描いた2つの黄色い円の中には、羊歯の葉のような文様がくっきりと浮かんでいた。


 Nr.181『侵蝕マニュアル』
 誰にでも予測できることではあったが、結果として空き箱ばかりが溜まっていくこととなった。空き箱群はまず客用の寝室を手にかけ、続いて応接間、書斎、居間と順々にゆっくりと呑み込んでいった。
 8月に入る頃には寝室も占拠されてしまい、それで今彼は浴室で寝起きしているのだという。


 Nr.182『夜のクリップ──深淵をのぞいている──』
(あからさまにものすごく嬉しそうに)
「まあああ残念、どうしてかしら?博士号を2つも持っている立派なあなたになら、一見知的に見えなくもない笑みと狡猾な計算で接客も完璧にこなせるって思われそうなものなのに。ほんと、あなたが落とされるなんて、わけがわからないわー。“高学歴”のあなたが落とされるなんてね?」


 Nr.183『いつもそこには濃縮果汁』
 こんな風に肌寒い午後に「あなたの好きな言葉は?」と尋ねられて「バラライカ」などと答えるのは必ずしも気がきいているとはいえないだろう。……(中略)……なにも私は、慣習というものもまあ気が向いたら3グラムくらいは考慮すべきであるとか、「普通ぎみ」を装った方が何かと得だとか、見ているとなんとなく目が回る気がするからとか、そんなことを言っているのではない。‥‥そんなことじゃないんだ!


 Nr.184『夜を泳ぐ』
 薄いガラスの天球に金で描かれた星座や星の名前、中空に浮いている七宝細工の地球に月、そのどれもが繊細な静寂を放っていた。星の音がそっと降るような‥‥
 これにひきかえ私の天球儀ときたら、スチール球の表面におもだった星座が白い線で印刷されているだけのものだ。それも、今ではあちこちに錆が浮いているし、付属の粗末な合成樹脂の置き台はずっと前に足が折れてしまってそのままだった。
(帰りに必ず接着剤を買い求めよう。そう、それもきわめて強力なのをね‥‥)


 Nr.185『病気』
 豆の瓶はつるつると手から逃げ、床にふれる直前にぱんと音をたててはじけてしまった。豆粒とガラス片は、ほとんど均一な間隔で床一面に飛び散っている。丁寧に振りまいたかのように。さて、と私は思う。ドアまでたどり着くには‥‥


 Nr.186『カーボン』
 「額屋を呼んで適した額に入れればまったく見劣りしないようになる」と彼は言う。
 そうだろうか?‥‥私は得意そうに足踏みしている彼の左耳に注意を払いながら、黒く焦がしたトーストを日付順に並べ替えていった。


 Nr.187『周期律の友』
 僕の場合は4ヶ月前から腹部にガラス鉢を埋め込んでいる。──ほらね。中にいるのはイソギンチャクなんだけど、こいつは見かけよりも結構頭がいいんだ。林檎の皮だってかなりうまく剥くしね。その仕上がりときたら、皮なんか最初から存在しなかったんだと信じて疑わなくなるくらいに見事なものだよ。
──え。なんだまだたった4ヶ月か、だって?はははまったく相変わらず間抜けもいいところだなあ君は。4ヶ月も経てばベテランといってもいいくらいなんだよ、なにしろこの世界は歴史が浅いからね‥‥


 Nr.188『水玉模様便り』
 ケパヒはあくまでも否認している。──しかし、これが彼の蹄鉄の跡であることは明らかだ。私はケーキの中央についたへこみを眺めた。何しろ、へこみの底には彼の蹄鉄に入っている彼の名前がはっきりと転写されているのだから(しかも小さな似顔絵つきで)。


 Nr.189『純粋』
 通信販売カタログから青いガラスの眼をしたゴム製の乳牛を一頭購入した。ゴムとはいってもいちおうモウモウと鳴くし、牛乳についていえば、その辺の世間ずれした不純な牛たちが出すものよりよほどおいしいのである。
 新品の搾乳機つきでこの値段は安い!と興奮したのだったが、考えてみれば私はこれまで搾乳機を使ったことがない。なお悪いことには、説明書も付いていない。まあ「おまけ」ではそれも仕方のないことか‥‥


 Nr.190『霧雨なら歩いて』
 彼はひどく疲れた様子で、今度は「もう帰る」と言いだした。まったくうんざりする。
 「したいようにすればいい」と私が言うと、彼はじろりとこちらをにらみつけ、足元からすごい速さで溶けだして水銀のような水たまりになり、すばやく石畳の隙間に潜り込んでしまった。‥‥ちゃぷん。ひよわな音をただ一つ置いて。


 Nr.191『ラジオ放送』
「すみませんが、ラジオの音を少し小さくして頂けませんか」
「ラジオ。…つけていませんよ」
「“クラゲになろうよ!1530 ──たとえ涙目になろうともあの夏の日は決して帰らない”って番組を聴いていらっしゃいましたよね?」
「いいえ、先ほど申し上げたように、つけていないんですラジオは」
「なんでも、今日の特集は“あなたの理想の足ひれ”だそうじゃないですか」
「はあ、ですから‥‥」


 Nr.192『きれいな あなた』
「おやおや、あはは。あくびをするふりなんかしたってだめだよ。君がしたことは到底許されるようなことではないんだからね。それもその程度のあくびじゃあね‥‥」
 そう言うと、ロンタムランはゆっくりと見せつけるように端正なあくびを一つ取り出した。


 Nr.193『麗しのお嬢さん』
 あわてて「チムリアン!」と呼びかけると、間髪を入れずに鋭い平手打ちが飛んできた。またへまをやってしまった。とっさのことだったので、敬称をつけるのをつい忘れてしまったのだった。その敬称ときたら38文字もあって、私はいまだに暗記できないでいるが──もちろん、チムリアンに言い訳など通用しないのである。


 Nr.194『発汗作用』
「さすがになんだか疲れてしまってね。もう、帰ることにする。この殺伐とした汚れた世界に適応しようなど、繊細きわまりない僕には所詮無理なことだったというわけさ。これから先の人生は、なつかしき混沌の中に生きていくということをここに誓うよ‥‥」
 そう言うとピヒタは気取って珍妙なポーズを取った。お気に入りの道化の衣装をつけたままで。


 Nr.195『休日の上昇気流』
 叔父が金の子豚を連れて出ていったのも、たしかこんな日のことだった‥‥などと柄にもなくしみじみと回想していたところをふいに邪魔したのは、一個の腐ったトマトだった。それはひゅうっときれいに弧を描いて漆喰の壁に当たり、大きなしみを作った。窓を閉める間もなく、次々に飛び込んでくる。どうやら、私があんずを隠し持っているということを、早くもかぎつけられてしまったらしい。縞模様の犬たちはとにかくものすごく鼻がきくのだ。


 Nr.196『皮膚の記憶』
 それは時折多分どうしてか自分自身の存在を主張して思い出させるべく熱を帯びた短い信号を不規則にジグザグに発する。傷口がふさがってからも、傷そのものはいつまでもいつまでもそこにあって。


 Nr.197『臼歯』
 ふいに、昨晩から疼いていた右の奥歯に常ならぬ感覚をおぼえた。状態を調べようと、私は洗面台の上の鏡に向かって大きく口を開けた。下あごの一番奥の臼歯がぐらぐらと動いている。──と見て取った矢先、その歯はすっぽりと歯茎から抜け出て、洗面台の縁に軽々と着地した。
 あっけに取られる私の目の前で、歯は歯根をくねらせ風変わりなダンスを見せながら歩き回る。それも、自信満々なようでありながらもどこかぎこちなさを示して‥‥


 Nr.198『ためらいの提案』
「チトリア民謡によく似た曲があるのをご存じですか?」
「いいえ」
「きっと驚かれますよ。主題がほぼ同一と言ってよいくらいなんです」

 それからしばらくして。
 ‥‥彼が唐突に言った。
「嘘でした」
「え?」
「ですから、嘘なんですよ…チトリア民謡の研究をしているなんて!」
 彼はみるみる怒りを沸騰させ、椅子を跳ね飛ばし去っていった。
──私はウェイターを呼んでコーヒーをもう一杯注文した。全力で疾走する彼の姿が、ちらりと目に入った気がした。


 Nr.199『明後日の私に』
カッルーガ氏の見解(抜粋):つまるところ、彼は無自覚にではありますがかなり濃厚に退屈していたものと考えられます。そう、絶望的なまでの退屈でまさに窒息寸前の状態であったというわけです。


 Nr.200『ネクタリン幻想──果肉のみによる現象ではなく常にそこには種子が何らかの意図をもって作用しているという仮説を今の私はあえて検証する気にもなれないということ、あるいは諦念を装った邪悪性のありよう──』
 果物鉢からネクタリンを一つ取って投げつけると、ちょうど彼の額の真ん中に命中した。すると、ふいをつかれた彼は後ろによろめき、見事にもんどりうって窓の外へ消えてしまった。
 これはまた勝手ながら次々と予想外の展開であるな、と私は思った。が、残念ながら彼の動作の面白さを堪能している余裕はなかった。私は床に転がったネクタリンを拾い上げると(幸い果実に目立った瑕は見当たらなかった)、それをかじりながら走って部屋を後にした。食べた後、種をどう処理しようかと考えながら‥‥
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by YuyusInstitut | 2004-02-28 15:30 | 羊のいる風景

羊のいる風景 Nr.151-75

 Nr. 151『楽しいお料理』
「私が考察したところ、過剰な撹拌が原因となって生じた事態であるという可能性を完全に否定できるものではないとの結果が導き出されましたが」
 私は聞こえないふりをしてカイエンヌ・ペッパーを振り入れた。
 彼はにっこりしてなおも同じ台詞を繰り返す。例によって彼には私が無視したのだということが想像できないのである。──そこで私はここぞとばかりに優しく汚れない最上の笑みを引っぱり出すと、彼の目をしっかり見返しながらあえてぐいぐいと鍋の中をかき混ぜてみせた。


 Nr. 152『砂糖入れの中の迷路』
「間違いない!これは名匠として名高いK.ワージトロンの初期代表作です。まったくすばらしい。我々は今まさに稀なる貴重な体験をしているのです。この角を拡大鏡で御覧下さい、細部まで作家の神経の行き届いているのがお分かり頂けるでしょう。それから、こうした表面の凹凸パターンは初期の特徴の一つですが……」
──角砂糖細工の世界に明るくない私は、よりいっそうの孤独感がつのるばかりであった。


 Nr. 153『この部屋はつまり明るすぎる』
カッルーガ氏の主張(抜粋):研究室のフラスコの中から取り出した豆だからといって、それがまがい物でないとは言い切れないわけです。まして目盛りの消えかかった古いフラスコとなれば、ますますもって信用なりません。


 Nr. 154『シノニムを探しに』
「見ればすぐにわかる」
‥‥実にそのとおりだった。親切なオーレル!資料館の建物は私にもすぐにわかった。むしろわざわざ見なくてもわかるというくらいである。駅の改札を出ると周りはおだやかな浅い海面で、正面の白い巨大な半球(目に入る唯一の建造物であるところの)まで白い半透明の敷石が等間隔に置かれていた。


 Nr. 155『溶暗』
 彼女の大好物であるアーモンド・ムースを作るつもりだったのだということを懸命に説明したが、それで納得を得られなかったのは明らかだった。彼女は、これ以上振り回されるのには耐えられない、あなたのこうした見え透いた嘘にはうんざりだと言い放ち、出て行ってしまった。
 まあ、無理もあるまい。‥‥私は台所の床に口を開けている真っ暗な大穴を覗き込んだ。試しにアーモンドを一粒放り込む。
 成功だ。穴はきっかり12秒後に極上のアーモンド・ムースを吐き出した。小さな金色のスプーンも添えて。


 Nr. 156『溶明』
 ベルがぴろぴろと鳴った。注文受けの扉を開くと、一粒のアーモンドだった。それを取り出して早速コンピュータで読み取りを開始する。解析は一瞬で完了した。
「あーもんどむーすのきゃらめりぜふう2にんまえ:さいこうきゅう」
 なにしろ久々の注文である。特別サービスとして毒つきスプーン(“さいこうきゅう”にふさわしく致死量相当の豪華版)を添えることにした。


 Nr. 157『水溜まりもおそれず』
 ともかくこんなところで溶けてしまうわけにはいかない。私は上体を丸めた姿勢を保ちつつ影から影へ飛び移りながら進んで行くことにした。この際、おろしたての靴下(青の地にタンポポ色の水玉模様)のことはあきらめるよりほかないようだ。


 Nr. 158『カカオ幻想』
 さらに掘り進むと、きわめてやわらかい層が突然現れた。泡のようにふわふわと軽く、シャベルに手応えがない。これ以上は危険であると思いながらもついついやめられず、ついには足場にしていた上の層までも壊してしまい、私の身体はみるみる沈み込んでいった。


 Nr. 159『白と黒のあいつ』
‥‥見失ってしまったようだ。牛の行列の中に潜り込んでしまったのだとすれば厄介なことになる。
(どうあってもその前に捕えなくてはならない)
 私はあまり目立たぬように道の脇に寄り、磁石を左のポケットから取り出してその針の回転ぐあいを見守った。


 Nr.160『メタファー(二枚貝による)』
「うわあたった一人だけというのもまたすごいね。なかなかそうはできないものだよ!」
「‥‥そうかな?」
「そうだよ!まあまあとにかくむしろ元気を出せ」
 彼がこんなにも嬉しそうなのはどうしてだろうか。


 Nr.161『積乱雲』
 見上げると、先ほどまではできそこないのカッテージチーズのような姿にすぎなかった雲が、ものすごい速さで膨れ上がっていく。雲の背後には暗い影が差しており、照らし出された雲の表面の凹凸がよりいっそう引き立っているのだった。
──私は自分が無意識のうちに隠れる場所を探しているのに気づく。


 Nr.162『巻雲』
「あれは竜だよ」
「ミジンコではなく?」
「うん…いや…ええと何だっけ。‥‥ご質問は正確に!」
 伯父が何に対して腹を立てたのか、当時幼かった私には分かりようもなかったのだが。


 Nr.163『真珠雲』
 出口で一人一人に何かを配布していたので私も一つ受け取った。それは何の模様も飾りもない白いボール箱で、表にただ一行だけこう印字されている。
「ひじょうにめずらしい」
 大きさの割にはやや重い。試しに箱を軽く振ってみると、それに応えるようにことことという控えめな音がした。


 Nr.164『絹層雲』
 ふいにどこかの犬が怯えたような声を上げた。するとそれが合図であったかのように靴の大群が空に現れた。街中の靴がそこに集まっていたのである。それらは一つの意志となって夕日を追いかけまっすぐに飛んでいく‥‥。
 私たちはその光景を、群れが遠く消えるまで黙って見守っていた。石畳の上に、裸足で立って。


 Nr.165『積雲』
 あなたは「懐かしさのかけらも感じられない」などといって拒絶してはいけない。──それが伯父のたった一つの遺言でした。サバランの断面を見ると、いつもそれを思い出すのです。


 Nr.166『図画工作の時間』
「黙って立ち去るのもそれはそれでなかなかかわいらしいものですが、ここではもう少し工夫してみましょう。みなさんそれぞれ材料を用意してきましたね?」
 ふうん、と思った。工夫などといっても、僕が家から持ってきた材料といえば、新鮮なニトログリセリンだけしかないのだ。僕は周りの子のテーブルの上をさりげなく窺った。


 Nr.167『巻き爪』
 記録4:勤め先の同僚Wの証言 より
──「食い込んでいる」、彼はただそう言いました。その日の朝8時47分22秒のことです。そのときちょうど時計を見たのを覚えていますから、時間は確かなはずです。……


 Nr.168『毛艶』
 彼は1匹を掌にのせてその背中の毛をいとおしそうに撫でていましたが、私は彼が実際には吐き気をもよおすほどハムスターが嫌いであるということを知っていました。


 Nr.169『木目の人』
 私は最後に思いきって大きく跳躍すると、空中で両足を4回半打ちつけた。
 自分としてはなかなか会心の出来だったのだが、これに対して下された評価は「チョコレート・キャラメル6粒程度に相当」といういささか厳しいものであった。


 Nr.170『詰め物日和』
 包みを開くと、出てきたのは大きな歯車のぬいぐるみだった。──私はもうとうにぬいぐるみで遊ぶような年頃ではなくなっているのだけれど。


 Nr.171『リノリウム叢書』
 本当は痩せているのにちがいないと彼がしつこく主張したので、それでは本当のところを確かめてみよう、ということになったんだ。まあ、我々も若かったからね。
 次の日、ガリマール教授がやってくるのを見計らって、用意していたバケツの水を浴びせかけた。──彼の言う通りだったよ。全身の毛が濡れて体にはりつくと、まん丸だったガリマール教授が針金のように細くなった。ただ、うまく水がかからなかったしっぽの先端だけは大きくまるくふくらんだままだったけれどね‥‥


 Nr.172『夢のもつれ』
 おそらくは左右のばた足の各度が不均衡となったことが原因で変化が生じたのだろう、というのが博士の見解であったが、私にはそれだけではないように思われた。
(何にせよもう一度確かめる必要がある)
 突如として根拠のない圧倒的使命感に駆られ興奮した私は、その夜遅くこっそりと寮を抜け出したのだった。


 Nr.173『夜のクリップ──泡の椅子、パンの壁──』
「そうですか‥‥ありがとうございました」
 受話器を静かに置いた。──これで43回めだ。縞模様の犬たちが裏から手を回しているのであろうことはほぼ間違いない。しかしそれを証明できるものは何もなかったから、慰めに自分に言い訳することさえできないのだった。
 ‥‥遠吠えのハーモニーが聴こえる‥‥


 Nr.174『うきうきアンモナイト』
「つまり、結局はまた言い負かされたんだね?」
 彼はそれに答えることはせず、生地をアンモナイトの殻の形に整え直し、持ち上げて裏側を確認するとかすかに眉を寄せた。
「‥‥言いにくいけど、その渦巻きや溝なんかは焼き上がったらわけがわからなくなるだろうね」
 それを聞いて彼の眼はますます光を弱めた。


 Nr.175『夜のクリップ──雷鳴がきこえる──』
「いうなれば、嘘であってくれたらと力強く願う気持ちがこの仮面には込められているのです」
 私にはその「仮面」がどうしても乗馬用のヘルメットにしか見えなかったが(しかも結構汚れている)、彼女があくまでそう言い張るのならばまあ言わせておけばいい、と思った。
「あるいはある種の呪いであるともいえます…ガーピガガポー……ゴッ。」
 ほら、興奮してそんなに振り回すから‥‥
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by YuyusInstitut | 2003-09-06 15:30 | 羊のいる風景